心療内科でAQテスト受けました
心療内科でAQ(Autism Spectrum Quotient)
自閉症スペクトラム指数のテストを受けました。
50点満点で、閾値は33点
私は36点。
一度目の診察でテストを回答して、二度目の診察で問診してもらいながら一度目の回答と違っているところを正してもらって結果がこの点数。
私としては最初点数を聞いた時、50点満点の36点なら7割くらいだけどそんなに高い数値とは言えないんじゃないかと思った。
帰宅後ネットで調べてみたら割と高い方。
もちろん、このテストだけでアスペルガーに決定というわけではないけれど、
「なんだ、高いんだ」
みたいなちょっと落ち込むというか、やっぱり全くの普通ではないんだというような寂しい気持ち。
診断結果後アスペルガーについて特に言及はされなかったけど先生は、
「ADHDのテストも受けてみますか?」
「辛い時あるなら抗うつ剤も処方できますよ。でも吐き気とか出るからまた考えてね」
と言ってくれた。
アスペルガーはADHDとかうつ病とか併発しやすいから何も仰らないけどやっぱりそう思われてるんだな。。と勝手に推測。
結局抗うつ剤はもらわずに軽い睡眠薬と蕁麻疹の薬を処方してもらうに留めておいた。
息子のアスペルガーは私由来だったんだ。
それがとてもショックだった。
慢性蕁麻疹4
昔行った心療内科に若干のトラウマを抱えつつ、今回別のクリニックに行って見ることにした私。
ガラス戸を開けるとそこはウェブで見た通りとても綺麗で壁は真っ白、小振りのシャンデリアが優しく輝き、まるでこの先の明るい未来を照らしているかのよう!
感動屋か。。
でもそういうコンセプトである事は間違いないと、私はそのインテリアにここの先生の意図を汲み取った気分になった。
何より良かったのは、先生一人しかいなかったこと。
前回のクリニックで最初のステップワンの臨床心理士との面談で心折れた私には、いきなりラスボスとの対決のようなこの方式の方が合っている気がした。
こちらのクリニックは、入ると突き当たりが受付になっているのだけど先生一人しかいないので、一見誰もいないように見える。
クリニックに入ると先生が診察室から受付に出てきてくれて
「ちょっと待っていてくださいね」
と、声をかけてくれた。
しばらく待っていると私の前の患者さんが診察室から出てこられてお会計を済ませて帰っていった。
お会計も処方箋の手続きも先生一人でやっていた。
その先生はすごく優しそうで、患者さんが帰る際ドアを開けて出ていかれるまで受付に立ってじっと見送っている。
その姿を見ただけで何だか久しぶりに素直に心が洗われたような気になった。
慢性蕁麻疹3
困ったことに市販の飲み薬も効かなくなって、毎日ひどい蕁麻疹に苦しめられることになった私。
痒いからではなく、溢れ出るヒスタミンの副作用?か何かわからないけれど毎日イライラも酷かった。
十数年ぶりに皮膚科に行こうと決意して、行ったところは心療内科も併設されているクリニックだった。
とりあえずは皮膚科で予約を取り、先生に症状について話したところ
「それは心因性かもしれないから、今度は心療内科で予約を取るように」
とのことだった。
心療内科にはいい思い出がなかった。
昔一度行ったことがあったけど、最初に臨床心理士の方に生育歴から学歴から色んなことを聞きまくられ、コンプレックスだらけの私は初めて会ったその真っ当そうな人に自身のボロボロの経歴をあけすけに話さなければいけないことがとても苦痛に思えた。
それがたとえ治療の一環だったとしても。
「これからお互い徐々に知っていこうやー」
と言ったナンパ男がまともに思えるくらいのストレスではあった。少なくとも。
そんなちょっとしたストレスをかけられつつ診察室に入っところ、気難しそうな中年医師に
「まあ抑うつ状態くらいじゃない?別に薬も要らないと思うけど欲しいなら抗不安薬でも飲んでみたら」
と、軽くあしらわれて何だか来るべきではないのに大袈裟に捉えて来てしまった人のような感覚に陥ってとても恥ずかしかった。
慢性蕁麻疹2
毎日出ていた蕁麻疹はいつからか寛解していた。
妙に楽観的なとこもある私はもう完治したくらいの気分でいて皮膚科通いも止めてしまい、市販の飲み薬を念の為携帯しているくらいだった。
それでも半年に一度くらいはひどいのが出たけれど。。
それが最近、昔よりもひどい蕁麻疹に苦しめられることになった。
朝起きて数分すると、痒い。
鏡を見たら首からデコルテというのでしょうかその辺りがボコボコで真っ赤になっている。
首の後ろもボコボコ
背中もボコボコ。
昔は夕方から夜にかけて出ていた蕁麻疹が日中にも夜にも、時間の感覚を忘れたかのように出まくる。
更にひどいことにはあんなに効き目のあった薬が効かなくなっていた。
朝飲んでも昼にはどこかしらが痒く、仕事中にボリボリ掻きむしり隣の席の同僚にもしかしてお風呂入ってない?と思われたくないのでこれ見よがしにムヒを取り出して塗りまくった。
「大丈夫ですか」
普通聞くよね。
ありがたいことに同僚は至極真っ当な普通の人なので、私の思惑通りの反応をしてくれる。
「私、慢性蕁麻疹なんですよ!」
私のシナリオ通りの流れを自作自演して、今後人目を気にせずボリボリできる免罪符を手に入れた気になった。
慢性蕁麻疹1
最近ストレスで一時治まっていた慢性蕁麻疹が再発してしまった。
始まりは20代前半ごろ、毎日夕方仕事前になると足が痒くなって見ると蕁麻疹が出ていた。
そのころは今とは違ってネットもなかったので、対処法がわからずひたすら薬局で買ったムヒやらウナみたいな塗り薬で我慢する日々。
ある時、職場のお姉さんに話したところ、
「まなみちゃん、それは皮膚科にいったほうがいいよ。飲み薬出してもらえるから。皮膚科紹介してあげる」
と教えられ、行ってみたところは、なぜか美容皮膚科だった。
そこは今まで通ってきた診療所には程遠いエステサロンのような空間で、壁は淡いピンク。ピーリングやら、レーザーに並ぶキラキラしたお姉さんたちに混じって(そのころ殆どの美容皮膚科の患者さんは女性だった)私は渋い顔で一人足を掻きむしりながら診察を待った。
診察室に入るとこれまたキラキラした美人の医師がいたのでびっくりしてしまったけ
ど、蕁麻疹の診察ももちろんして下さって薬も処方された。
その時処方された飲み薬はとてもよく効いて、飲んでいる間は蕁麻疹が出なかったけど飲まなければ出てしまう。
ひどい時は、全身それこそ頭皮にまで出て顔は真っ赤でボコボコ。人前で出た時は恥ずかしく、トイレの個室で治るのを待ったこともあった。
そんな調子で結局10年以上毎日薬を飲み続けていた。(クリニックは普通の皮膚科に変えました)
息子がアスペルガーかもと思った時
- 赤ちゃんの頃、泣き止まなかった
- 迷子になったのに平然としていた
- 4歳ごろに家出
- 話し出したら止まらない
- 食べ物を全部自分のものにする
- 触られるのを極端に嫌がる
- お風呂に入らない、入りまくる
- ちょっとしたことで泣き喚く
- 怒って帰ってしまう
- 引きこもり
最終的に引きこもりになりました。こちらが宥めてもすかしても怒ってもどうにもならなかったです。生活指導の先生、市の職員の方が来てくださっても部屋から出てくることはありませんでした。市の職員の方々はよく訪問してくれたり、病院に付き添ってくださったり本当に力になってくださいました。心から感謝しています。
結婚と離婚
18歳
高校もやめて実家に居場所がなかった私はいつも一人でぶらぶらしていて、挙句一つ年上のナンパで知り合った相手の家に居着いていました。
しばらくして妊娠
信じたくなかった。
だから放ってました。(こういうところがダメなんでしょうね)
そして、安全に堕胎できる期間は過ぎ、あっという間にお腹は大きくなっていきました。
彼はどういう気持ちだったのか、それなら結婚しようと。
お互いの親は呆れ顔だったもののとりあえずは入籍の運びになりましたが、
婚姻届を出した翌日から彼は3日間帰って来ませんでした。
他の女性のところにいて。
いい加減な人だったから携帯も止まっていて連絡手段もなく、田舎の一軒家みたいな家に一人、私は気が狂いそうだった。
4日目、8ヶ月の身重の体で泣きながらバスに乗って実家に帰りました。
バスの窓の外、景色を見るふりをしながらずっと泣いていた
あの日のことは今でも忘れません(恨み節)
睡眠不足も手伝ってほうほうの体で実家に辿り着き、彼とは喧嘩したから離婚すると報告。
いつも虚勢を張っていた私は本当のことは言えなかった。
うちの親は変わっているので、普通に喜んでいました。
そして出産。
自分のことも好きじゃなく、彼に対しては恨みつらみ
そんな二人の子供を可愛いという気持ちにはなれませんでした。
自分のベッドの横に眠る息子を置いては、しょっ中病院の中をぶらぶら。
ふらふら病室に帰ってきた私に隣のベッドのお母さんから
「赤ちゃん泣いてましたよ」
と教えて頂いても
「そうですか、ありがとうございます」
と返事はするものの、内心うるさいなあとまで思っていました。
皆さん幸せそうで親切だった。ごめんなさい。
彼は病院に謝罪に訪れ土下座パフォーマンスまで披露してくれたけど、到底許すことはできず、というよりはこの人とは今後やっていけないという気持ちが強かったため別れを決意。
お金がなかった私は、夜に両親に子供をみてもらってスナックに働きに出ました。
お客さんと話していても母乳が出て服まで染みてきた時、なんだかすごく虚しくなった。